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    <title>kept.place · 文章</title>
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    <description>Ellis の文章。日記、随筆、少しずつ形になる考えを日本語で 19 篇、タグと年ごとに。</description>
    <language>ja</language>
    <lastBuildDate>Fri, 16 Oct 2026 03:00:00 GMT</lastBuildDate>
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      <title>自分を軽くしたい。でも、もう十分に軽い。</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-10-16-mvb96npe/</link>
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      <pubDate>Fri, 16 Oct 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[することが何もないときは、虚しくて、生きている感じがしない。物事で埋まっているときは、自由でないと感じる。生活よ、私に務めを与えてくれ、そして私は何も気にかけたくない。 世界よ、私はすべての人の願いの]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>することが何もないときは、虚しくて、生きている感じがしない。物事で埋まっているときは、自由でないと感じる。生活よ、私に務めを与えてくれ、そして私は何も気にかけたくない。</p>
<p>世界よ、私はすべての人の願いの映しなのだろうか。だとすれば、私と同じように苦しんだ人が、いまも苦しんでいる人が、どれほどいるのだろう。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>ショーペンハウアーは、人生は振り子のようだと言った</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-10-15-mvba95j2/</link>
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      <pubDate>Thu, 15 Oct 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[退屈と苦痛のあいだを行き来する。だから幸福は、苦痛の一時的な否定にすぎない。 振り子を思い浮かべたから、この言葉を思い出した。高くなったり、低くなったり。 苦痛と退屈。どうでもいいから、どちらもどうで]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>退屈と苦痛のあいだを行き来する。だから幸福は、苦痛の一時的な否定にすぎない。
振り子を思い浮かべたから、この言葉を思い出した。高くなったり、低くなったり。
苦痛と退屈。どうでもいいから、どちらもどうでもいいのかもしれない。</p>
<p>ほんとうは何も話したくない 口に出したその次の瞬間には何もなかったことにしたい 一秒前にしたことを 次の秒にはもうしたくない どうでもいいから</p>
<p>何もかもいいんだ もうこれでいい 自分の立場も持ちたくない 自分も持ちたくない 何もしたくない 意見も言いたくない これでいいと思う 自分の考えなんて少しも持ちたくない この私から出てくる行いなんて少しも持ちたくない 私は私ではない 少なくともあれこれ動いているほうの私ではない 私をどう決めればいいのか 私にはいくつもの面がある</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>時間が経つのがとても速い</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-10-12-mv5e4o2v/</link>
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      <pubDate>Mon, 12 Oct 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[食事を終えればもう七時。もたもたしていて十一時になっても、たった四時間だ。少し勉強して、少し書いて、少し本を読んで、それで終わり？ 次にゆったりできるのは土曜日曜まで待たなければいけないのか。それなの]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>食事を終えればもう七時。もたもたしていて十一時になっても、たった四時間だ。少し勉強して、少し書いて、少し本を読んで、それで終わり？</p>
<p>次にゆったりできるのは土曜日曜まで待たなければいけないのか。それなのに、時間はとても遅くも感じる。</p>
<p>それに比べると、環境の影響はやはり大きすぎる。みんな口をきかないし、面白いこともなくて、時間をやり過ごしているようだ。これは私が望む生活ではない。それでも、望む生活に踏み出すには、十分な資本が必要だ。</p>
<p>自分の仕事を手の内に収めるにつれて、慣れていくにつれて、仕事を好きになる、という考えがある。まあ、仕事のどこかの面については、そうなのだろう。環境も大切なのだから。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>目標ではなく、システムをつくる</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-10-11-mv3yz70r/</link>
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      <pubDate>Sun, 11 Oct 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[いつか聞いたこの考えを、ふと思い出した。言っていることは正しいと思うのに、うまく説明できない。 目標が遠すぎるからだろうか。そういう考えと行動そのものとの結びつきはそれほど強くなく、かえって行動を弱め]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>いつか聞いたこの考えを、ふと思い出した。言っていることは正しいと思うのに、うまく説明できない。</p>
<p>目標が遠すぎるからだろうか。そういう考えと行動そのものとの結びつきはそれほど強くなく、かえって行動を弱めてしまうことさえある。だからシステムが大切なのだ。システムに沿っていけば、望んでいた目標に少しずつ届く。それは具体的な段取りで、そのときの成果が目に見えるから。</p>
<p>今日、記録のためのひとつのまとまったシステムをつくってみた。それは私のデータを保ち、私が道具を使った跡も残してくれる。もちろん、AIを使うのもより簡単になった。</p>
<p>すべてをつなげたい、という考えをずっと持っていた。いまはひとまず実現したと言えるだろうか。</p>
<p>このところ、あまり良くない知らせがいくつかある。政治や個々の政策について論じたくはない。けれど、私が気にかけている問題と、決める側の人たちが気にかけている問題は明らかに違っていて、負うリスクも分かれている。だから私は行動で投票する。両手でできないなら、両足で。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>時間を取っていたものを、分類して片づけた</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-10-10-mv2nbb7q/</link>
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      <pubDate>Sat, 10 Oct 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[私には十分な休みが必要だ。自分の時間が必要だ。自分の権利が必要だ。ふさわしい環境が必要だ。そして私は、その方向へ少しずつ近づいていく。]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>私には十分な休みが必要だ。自分の時間が必要だ。自分の権利が必要だ。ふさわしい環境が必要だ。そして私は、その方向へ少しずつ近づいていく。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>最近、日記をあまり書いていない</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-10-09-mv13skh8/</link>
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      <pubDate>Fri, 09 Oct 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[これで三日目だ。はは、おととい、習慣は二度目の中断をしてはいけないという話を見かけたのに、あいにく昨日はパスワードを何度も間違えてしまった。 最近書き留めておくべきことがあるかというと、じつはない。前]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>これで三日目だ。はは、おととい、習慣は二度目の中断をしてはいけないという話を見かけたのに、あいにく昨日はパスワードを何度も間違えてしまった。</p>
<p>最近書き留めておくべきことがあるかというと、じつはない。前の休暇で言いたいことはもう言い終えてしまった気がする。</p>
<p>このところ新しいサイトをつくっている。このサイトはどうすれば価値のあるものになるのだろうと考えている。やはり、いくつかの中身は自分の手でつくる必要があるのだろう。今のサイトの構成はこれでいいと思う。個人のページ、私的なページ、それにブランドのようなページ。</p>
<p>仕事はまあまあだ。けれどいちばんの問題は、自分の考えがないことだ。ただAIのあとについて働いているだけのようで、これでどうして学んでいると言えるだろう。たとえば、GEOやSEOはどうすれば効くのか。いまは構成のようなことしか知らない。それより深いところは自分でもよくわかっていない。おそらく誰もよくわかっていないのかもしれない。それでも少なくとも今年は、何が効くのかを知りたい。</p>
<p>今日はこれで。また明日。もう一日以上は空けない。一文だけでも、ちゃんと書く。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>AIとの歩み</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-29-mumqwvih/</link>
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      <pubDate>Tue, 29 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[二〇二二年、OpenAIがGPT-3.5を公開した。当時の私はまだ大学生だった。そして今、私はOpus 5.5を使って仕事の問題を解決している。AIの発展はあまりにも速いけれど、私たち人間が受け入れる]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>二〇二二年、OpenAIがGPT-3.5を公開した。当時の私はまだ大学生だった。そして今、私はOpus 5.5を使って仕事の問題を解決している。AIの発展はあまりにも速いけれど、私たち人間が受け入れるのも速いので、大きな変化を感じないようにも見える。でも、ほんの数年前まで、私たちはいろいろなブラウザで調べものをするのに慣れていて、ポスターも自分の手でデザインしていた。AIの音楽もAIの映画もなかった。今日数分で作ったものが、数年前に何日もかけて作ったものより美しいかもしれない。生産力が変わり、生み出すものの価値もそれに伴って変わっている。</p>
<p>AIはまず頭脳を育てた。人類の膨大なデータ、詩や小説、論文や報道、さらにはネット上の口げんかまでをもとに、文の中でそれぞれの言葉が現れる確率を推測する。改良を重ねるうちに、人間には身につけがたい知識を身につけ、その知識の上に、私たちがまだ手にしていないものを見つけにいく。</p>
<p>次は両手だ。実は、ずっと前からウェブサイトを作りたいと思っていた。高校生のとき、WordPressで自分のページを大まかに作ったことがある。コンピューターのことも仕組みもわからず、資料を見ながら少しずつ作っただけだった。やがてAIが現れ、わからないところは直接聞けるようになった。こちらの意図を取り違えて的外れになることもよくあったけれど、知識の幅は広く、ウェブサイト作りについて多くを学んだ。</p>
<p>二〇二四年、Cursorを使うようになって、私は両手を手に入れた。プログラマーの両手だ。これも正確さに欠けることがあり、私は相変わらず仕組みをわかっていなかったけれど、それを使って自分のサイトの構造を変えられるようになった。大きな自由を得た。それまではチュートリアルに従うか、用意されたテーマを少し調整するしかできなかったのに、今は自分の考えを形にしてもらえる。時間もずいぶん節約できた。少なくとも、手の届く範囲のことはうまくやってくれるし、届かないところは自分でやればいい。</p>
<p>そのあとAIは両脚を持った。つまりエージェントだ。自由に歩き回り、自由につながることができる。まるで島と島を結ぶ橋のように、A島の綿をB島へ運び、冬の服を作る。もう自分であちこちをつなぐ必要はない。指示を出して、さまざまなサイトやプラットフォームのあいだに橋を架けてもらえば、それらがプラットフォームをまたいで協力し、私の両手を完全に自由にしてくれる。</p>
<p>はは、今日はここまでにしよう。それにしても、AIの発展は本当に速い。さまざまな仕事が置き換えられていくのも当然だ。生産のあり方が進歩するにつれて、教育も時代に合わせて変わらなければならない。専門家になることはもちろん大切だけれど、これからは、もっと広く育てるべき資質があると思う。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>何かを書くこと、そして欠乏の心理について</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-28-mulcuyu4/</link>
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      <pubDate>Mon, 28 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[数週間前から、仕事のことを書こうと思っていた。どんなことをして、何を学んだのか。それから、GPT-3.5からOpus 5.5まで、AIを使ってきて感じたこと、そして私の世界でのAIの発展について、一つ]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>数週間前から、仕事のことを書こうと思っていた。どんなことをして、何を学んだのか。それから、GPT-3.5からOpus 5.5まで、AIを使ってきて感じたこと、そして私の世界でのAIの発展について、一つの文章にしたいと思っている。</p>
<p>まずは昨日の宿題を片付けよう。今は十時。少なくとも三十分は書くつもりで、思いつくままに書いていく。そのあとは瞑想するか、とりとめもなく考え事をする。これからもこうしよう。これが欠乏の心理に打ち勝つための第一歩だ。</p>
<p>私の生活には、いつもある種の切迫感、欠乏の感覚がある。結局のところ、生活のあらゆる瞬間が次の目的のためにあるように見える。だから期限が近づくにつれて、今は今のためにあるのではなく、未来のせいで追い立てられるようになる。</p>
<p>時間とは不思議なもので、人類の文明全体の礎だ。けれどよく考えてみると、時間は存在しないことに気づく。それは空間の中の運動に寄りかかった錯覚にすぎない。錯覚は強力な武器だ。人類がここまで来られたのは、さまざまな錯覚をみんなで信じてきたからでもある。けれど、信じるほど強くなり、強くなるほどさらに信じる。かつての幻想は忘れられるうちに少しずつ真実になり、最後には本物の嘘になった。そして私はその嘘の下で生きている。</p>
<p>「将来のために、今日必死に頑張らなければならない」。この言葉自体は間違っていない。でも、今日のうちに将来の準備をたくさんしなければならず、気づけば深夜になっている。何もかも今日に押し込もうとして、今日はすべて明日のために存在し、急にものすごい熱意が湧いてくる。こういうことは本当に怖い。その裏返しとして、娯楽の時間も一分たりとも無駄にしたくない。仕事のあとや休みの日には、楽しみながら同時に勉強したり、何か役に立つことをしたりしたくなる。</p>
<p>どちらもたいてい、いい結果にはならない。前者は、その間にちゃんと取り組めるかどうかはさておき、たとえやったとしても続かない。よくわからない。翌日にはもうやりたくなくなるのかもしれない。出発点がそもそも偽りの未来だったからかもしれないし、昨日が疲れすぎていて、未来のために今をすべて捨ててしまったと気づいたからかもしれない。とにかく、こういうやり方はあまりいい気分ではない。後者はもっと単純で、休む時間も遊ぶ時間も、まるで足りない。この瞬間がいつまでも続けばいいのにと思う。すっかり短期主義者になってしまった。</p>
<p>時間を思いどおりにしたい。今日を目いっぱい埋め尽くしたい。私の世界に明日はない、はは。これも一種の、今を生きる暮らしなのかもしれない。これが欠乏の心理がもたらすものだ。欠乏しているから、限られた時間でできることは全部やらなければならない。欠乏しているから、今日すべてを注ぎ込んで、明日には見返りを見たい。欠乏しているから、一瞬の退屈にも耐えられず、すぐに何か面白いことに飛び込まなければならない。</p>
<p>でも、これは本当のことではない。退屈は大切だと思う。何もすることがないのは大切だ。明日があると知っていることは大切だ。そうしてはじめて、プレッシャーの少ない中で、自分の興味や願いを少しずつ探してみることができる。そうしてはじめて、一歩ずつ目標に近づいていく自分が見える。そうしてはじめて……。欠乏のせいで無意識のうちに時間をやり過ごし、生活はつまらないと感じてしまうのではなく。</p>
<p>今日はここまでにしよう。完璧な文章はいらない。今日やるべきことのリストもいらない。これが言いたかったこと、書きたかったことだ。いくつかは明日に回して、今を生きよう。</p>
<p>私たちの目から見れば、世界は永遠ではないだろうか。私たちの生活は果樹とは違って、秋も春もない。だから、信じすぎないように。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>無意識の思いに、私たちはあまりにも動かされている</title>
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      <pubDate>Sun, 27 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[最近、いつも時間が足りない気がして、張り詰めている。今はこうして言葉にできるけれど、実際には、無意識のうちにそれに従って動いている。 たとえば、意味のあることをたくさんしなければならない、遅れてはいけ]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>最近、いつも時間が足りない気がして、張り詰めている。今はこうして言葉にできるけれど、実際には、無意識のうちにそれに従って動いている。</p>
<p>たとえば、意味のあることをたくさんしなければならない、遅れてはいけない、夜遅くまで頑張らなければならない、一分一秒を無駄にしてはいけない。でも、時間の問題はそういうことではない。私にはいつも何かしら片付いていないことがある。どうして今を生きられないのだろう。どうして私には「やるべきこと」があって、ただ毎日を生きるだけではいけないのだろう。</p>
<p>どうして夜更かしをしてしまうのだろう。まるで明日がないみたいに。もう少し時間が必要なみたいに。続きはまた明日。もう寝よう。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>最近、また少し書きたくなくなった</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-27-muk0jlpd/</link>
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      <pubDate>Sun, 27 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[何もしたくない。言い訳を探すつもりもない。一日の時間はもともとたくさんあるのに、いつも先延ばしにしてしまう。まるで決められたプログラムに従っているみたいだ。たとえば、手持ち無沙汰になるのがどうしても嫌]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>何もしたくない。言い訳を探すつもりもない。一日の時間はもともとたくさんあるのに、いつも先延ばしにしてしまう。まるで決められたプログラムに従っているみたいだ。たとえば、手持ち無沙汰になるのがどうしても嫌で、やることがないとすぐにゲームやSNSを開いてしまう。特に遊びたいわけでも、見たいわけでもない。ただ時間を潰すためだ。</p>
<p>こう気づいたのは初めてではない。けれど前にも書いたように、問題の核心は、新しい自分の状態をどうやって保ち、続けていくかだ。</p>
<p>今日はもう分析したり、何かを決意したりするのはやめておく。もうわかっているのだから、すぐに動けばいい。書きたくない理由はもう一つある。書いたものがひどく思えたり、言いたいことをうまく表現できなかったりするからだ。そういうことは全部忘れてしまおう。一日最低五分は、やはり書かなければ。何を食べたか、何を見たかを書くだけでもいい^^</p>
<p>今日はウェブサイトの設定をいくつか直して、アニメを二本見終えた。とても面白かった。こういう暮らしも悪くない。うん、明日は「欠乏」について考えていることを書こう。昨日と今日、ずっと考えていて、断片的なメモを残しておいた。それを膨らませてみよう。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>特に題はない</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-23-mucx7jog/</link>
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      <pubDate>Wed, 23 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[職場や宿の小さな個室トイレが好きだ。どこか安心できる。外が騒がしければ、自分の出す音もかき消してくれる。 ここ数日、また泣いてばかりいる。仕事帰り、すぐ宿へ自転車で戻りたくなくて、しばらく外をうろうろ]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>職場や宿の小さな個室トイレが好きだ。どこか安心できる。外が騒がしければ、自分の出す音もかき消してくれる。</p>
<p>ここ数日、また泣いてばかりいる。仕事帰り、すぐ宿へ自転車で戻りたくなくて、しばらく外をうろうろした。でも行く場所もなく、結局戻ってトイレに少しいた。そして今も、また涙が止まらない。</p>
<p>胸が少し痛い。ここ数日、睡眠時間が短かったからだろうか。でも眠れないし、眠りたくもない。生きていても、去るとしても、もう苦しみがないようにと願う。</p>
<p>少し疲れたよ、神様。聞こえていますか。あなたには聞こえていないと思うしかないような気がする。返事を見られるとは思えないから。それでも、あなたに話すか、自分に話すしかない。本当に悲しい。誰かに話したら、もっと泣いてしまうだけだと思う。相手も困るだろうし、それで何かが変わるわけでもない。だから、あなたに話すしかない。泣き声ばかり聞かせてしまって、ごめんなさい。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>閉じたはずのページをまた開いた</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-22-mubh57ke/</link>
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      <pubDate>Tue, 22 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[去りたい、死にたいと思ったのが、もう何度目なのかもわからない。 私には本当に何かの役目があるのだろうか。いわゆる大きなことをしなければならないのだろうか。そうでなければ、なぜこんなに行ったり来たりする]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>去りたい、死にたいと思ったのが、もう何度目なのかもわからない。</p>
<p>私には本当に何かの役目があるのだろうか。いわゆる大きなことをしなければならないのだろうか。そうでなければ、なぜこんなに行ったり来たりするのだろう。はは。もういい。</p>
<p>感情を安定させるのは得意ではない。でも耐える力なら、人並み以上だと思う。もう十年以上、私はずっと自分と闘っている。人生、死ぬ以上のことはないのではないか。それでも気は楽にならない。やりたいことや、惜しいと思うものがないだけなら、まだいい。怖いのは別のことだ。責任を果たせていないのではないか、誰かに何かを負っているのではないか。それが怖い。恐れは死よりも強い。</p>
<p>では、どうすれば怖がらずにいられるのだろう。</p>
<p>眠る前にもう少し。私は自分を哀れんでいるのだろうか。自分が沈むのを放っておいているのだろうか。考えても何も変わらない。でも自分を裁きたくもない。そのほうが少し楽だ。私は神を待っているのだろうか。助けに来た船を三度も拒み、海で溺れる人間なのだろうか。私には船が見えていないのかもしれない。でも見えないのなら、それは本当に私を救いに来たと言えるのだろうか。</p>
<p>けれど、だからこそ私は自由だ。ならば方法を考えなくては。自分の生活を壊すのではなく、自分に合った生計の立て方を探すのだ。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>頭の中に考えが多すぎる</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-21-mua0ryyo/</link>
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      <pubDate>Mon, 21 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[ウェブサイトの管理画面を開かなくなって、もう何日か経つ。毎日少しでも時間を取ってここにいたほうがいいのだと思う。せめて自分の気持ちや考えを、少しは理解するために。 ここ数日は休む時間もあまりない。寝よ]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>ウェブサイトの管理画面を開かなくなって、もう何日か経つ。毎日少しでも時間を取ってここにいたほうがいいのだと思う。せめて自分の気持ちや考えを、少しは理解するために。</p>
<p>ここ数日は休む時間もあまりない。寝ようとしても眠れず、夜更かしをして、今ももう日付が変わっている。土曜日の休みには、無意識にゲームを開き、何かをしながら別のこともしたくなった。時間を潰しているのだろうか。時間が足りないと思いながら、意味がないかもしれないことを、わざわざ自分にやらせている。そうすれば時間をどう使うか考えずに済むし、考えること自体を避けられるのかもしれない。ゲームをしていれば、頭を別の場所に置ける。自分や時間と向き合わずに済む。</p>
<p>急に漫画も読み始めた。外での活動は物語ほど面白く感じられず、生活に使うお金も驚くほど少ない。私のような暮らしをする人にとって、インターネットのなかった時代がどんなものだったか、想像もできない。ただ、仕事にはますます不満を感じているようだ。</p>
<p>今日いらいらした主な理由は、振替出勤だった。本来休めるはずの時間が、次の連休を埋め合わせるために使われた。働く時間が少し増えれば、報酬も少し増えるかもしれない。でも私にとって、仕事の期待値は完全にマイナスだ。時間を足すほど、むしろ差し引かれるもののほうが大きい。給料が勤務時間に応じて変わることなら受け入れられる。私はあまりお金を使わないから、働く時間を減らし、その分収入が減ってもかまわない。</p>
<p>それにしても、雇われて働くことには本当に見合うものがない。誰にでも、自分の望む暮らしや、経験したい人生があると思う。私の生活は色とりどりでなくていい。ただ、こんなに疲れずに、十分な自由がほしい。春節までに、少しでも収入を得られる副業を一つ持ちたい。何でもいい。来年仕事を辞めないとしても、それだけは持っていたい。働き始めてまだ一か月なのに、もう人生がこんなにつらい。まあ、少なくとも、これは私の選択ではないと言える。頑張ろう。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>前に覚えた一言を残す</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-15-mu2xa4ej/</link>
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      <pubDate>Tue, 15 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[私が二人いたらいいのに。一人が話し、もう一人が聞く。一人が生き、もう一人が見守る。私はなんと自分を愛することを知っているのだろう。誰のことも羨ましくない。]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>私が二人いたらいいのに。一人が話し、もう一人が聞く。一人が生き、もう一人が見守る。私はなんと自分を愛することを知っているのだろう。誰のことも羨ましくない。</p>
]]></content:encoded>
    </item>
    <item>
      <title>死についてのすべて</title>
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      <pubDate>Mon, 14 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[現実の美しい景色について、最近はほとんど書いていない気がする。たいてい書くのは、頭の中を一瞬よぎる思いのことだ。今日は死について話したい。 死に対する最初の印象を、私は覚えていない。覚えている人のほう]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>現実の美しい景色について、最近はほとんど書いていない気がする。たいてい書くのは、頭の中を一瞬よぎる思いのことだ。今日は死について話したい。</p>
<p>死に対する最初の印象を、私は覚えていない。覚えている人のほうが少ないのではないだろうか。生まれて間もない頃、死はあまりに遠く、他人の人生を理解する力もまだ足りない。ぼんやりと死を感じ取れるようになる頃には、もう特定の瞬間が強い印象として残ることもない。</p>
<p>私は生活に満足していない。自分の生活を意識して見つめ、感情を感じ取るようになってからずっと、生活は本当にひどいものだと思ってきた。今でも時々そう思う。昨夜も、今朝も、心の中では何かが、すべて終わってほしいと絶えず祈っていた。数えてみれば、ちょうど十年になる。</p>
<p>十年前、授業の合間に教室を出て、外を眺めるのが好きだった。もっと遠く、この世界の外側にある場所まで見たいと思っていた。その頃、一粒の種がまかれ、芽を出した。私にとって生活は、何が起こるかわからない地獄だった。片方の私はさまざまな「誘惑」にさらされ、その甘さを味わう。もう片方の私は、不確かな裁きを受け、自分が楽しんだことへの賞罰や、次の機会があるかどうかを決められる。</p>
<p>宗教に出てくる、あの醜い悪魔たちの誘惑は、本当に人を地獄へ引きずり込むのだろうか。悪魔は神の姿を装って人を欺く、と言う人がいる。だから人々は正すための罰を定めた。でも、その罰は神を悪魔のように思わせる。恐怖の中で生きることを、喜ぶべきことや当たり前のことだとは思えない。後でどれほど多くを約束されても、今を無視することはできない。だから、少なくとも私には、自殺そのものを悪いことだとは思えない。それは一つの選択であり、拒絶の仕方でもある。</p>
<p>拒まれたあらゆる生き方や行いも、実はふさわしいものなのだ。世の中のすべては、意識していてもいなくても、私たちが作り上げたものだ。起こったことのどれか一つでも、私たちと無関係だと言い切れるだろうか。</p>
<p>話が逸れただろうか。とにかく、ここに残りたくない時が多い。世界はあまりにも混沌としている。私はある時はこちら側にいて、次にはあちら側にいる。恨みながら愛し、責めながら哀れむ。もう本当にうんざりだ。自分の中にいるいくつもの私がぶつかり合うことにも、世界の果てしない混乱にも、もう疲れた。未練もほとんどない。今の私に、いったい何を惜しめるだろう。責任が私をここに引き留める。それは乾いた土地に降る小雨のようだ。でも私の肌はとっくにひび割れている。もう、いっそ終わらせてほしい。</p>
<p>この身体の中で、この時間の中で、すべてが決まっているような因果の世界で、もう一秒も過ごしたくない。「私はこの世界を愛している。穏やかで静かな時もあれば、風が荒れ、波が押し寄せる時もある、この気まぐれな海を愛している」と誰かが言う。そんなの、くそくらえだ。誰が言ったとしても。もちろん、あなたはそう言ってもいい。私と話しているのなら、私たちは共にここにいるのだから。それでも私は悪態をつきたい。その言葉がひどく間違っていると感じるからなのか、変化を受け入れたがらない自分に向けてなのか。やっぱり、くそくらえだ。</p>
<p>私はまだ理性を保ちすぎている気がする。夜中にもなっていない。だから、今日の少し前に言ったことをここに引いておく。そうしないと、私の半分だけが書いているように感じる。</p>
<p>疲れた、疲れた、疲れた。生きるのは疲れる。生きながら半分死んでいるような感覚だ。暮らしを変え、プロフィールを変え、思いつく限りの新しい選択をしてきた。以前は、それで生活が変わるかもしれないと思っていた。今は想像するのも面倒だ。私の生活は本当につまらなくて、退屈で、何の張り合いもない。そうとしか言えないけれど、それだけでは足りない。少しも好きではない。ただこのまま過ごし、いつか世界を去る。それだけなのだろう。</p>
<p>もうわけがわからない。何もかも壊してしまいたい。なぜ、なぜ生活はこんなに混沌としているのだろう。あちこちへ行き、いろんな人に会い、何かを始めたり終わらせたりしても、私の生活はずっとこのままなのはなぜ？　なぜ映画の中やほかの人には転機が訪れるの？　なぜ神はほかの人には話しかけるの？　なぜ答えをくれるのに、毎日混乱の中で推測し続けさせるの？　本当に疲れた。ひどく崩れ落ちたと思ったら、急に気分が戻ることもある。そして一本の電話でまた崩れる。疲れた。息が詰まるようだ。わかるだろうか、この窒息するような感じが。終わりも、抜け道も見えない。</p>
<p>以前は、生活の中で答えの出ないことに向き合う時、この世界を去ればすべて終わる、と考えて自分を慰めることもあった。今はその慰めさえない。自分は去らないし、去れないとわかっているから。何を言えばいいのか、少しわからなくなった。ああ。</p>
<p>こんなことを考えるべきではないのかもしれない。でも止められない。魂が肉体の中にいないように感じる。何も感じられない。自分の世界の中から、自分の目を通して世界を見る時、何もない。実際、死を考えたことがある。実行しようとしたこともある。それなのに、なぜ私はまだここにいるのだろう。ある責任が私を引き留めているのだと思う。まあ、これ以上は恥ずかしくて書けない。誰も見ていないとわかっていても、書きたくない。</p>
<p>私には変える力があるのかもしれない。でも、変わりたくも、努力したくもない。ただ世界が滅びてしまえばいいという思いを抱いている。つらい。なぜなのかわからない。ほかにも、どう言えばいいのかわからない。死ぬのはひどく見苦しいことになりそうだ。もし人生に、ただ消えるためのボタンがあれば、世界から突然たくさんの人がいなくなると思う。死はとても重大なことで、人は変わることも望まない。だから半分生き、半分死んだまま過ごす。死ぬのにも、よい方法はないように思える。</p>
<p>まだ一日も経っていないなんて、信じられない。夕方、道を歩きながら、壁に貼りたい言葉を思いついた。「自分で選んだ生活を、揺るがずに生きる」。もっと正確に言えば、「自分が経験したい生活を、揺るがずに選ぶ」。それ以外に道はないから。目の前にある選択肢は、片方が正解で片方が間違い、片方が少しよくてもう片方が少し悪い、というだけのものではない。この力は、間違いを除いていくことよりも強く、あらゆる否定よりも強い。私も選ばなければならない。</p>
<p>自分の選択に対して「どれでもいい」とは、決して言ってはならない。自分が望むものを、はっきりと意識して選ぶ。そして、その結果を引き受け、自分の求める答えを得る。それが私の生活の真理であり、本当の生活だ。そう、それで十分だ。十分なのだ。空っぽでも、虚無でも、まだ落ち込んでいても、私はそうする。</p>
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      <title>私はまだ、生活の真理について考えている。</title>
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      <pubDate>Sun, 13 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[今日は覚えておきたいことがいくつかある。 午後、地下鉄に一時間以上乗って動物園へ行った。パンダやペンギン、ヒグマなどを見た。動物はやはり動いているほうが見ていて楽しい。無理に芸をさせることを支持してい]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>今日は覚えておきたいことがいくつかある。</p>
<p>午後、地下鉄に一時間以上乗って動物園へ行った。パンダやペンギン、ヒグマなどを見た。動物はやはり動いているほうが見ていて楽しい。無理に芸をさせることを支持しているわけではない。ただ、狭い場所で元気のない動物を眺めるだけでは、どうにも気持ちが上がらない。動物が活動し、説明や対話のある場所には、もう少し立ち止まりたくなる。そこには生命力が感じられる。いちばんうれしかったのは、広場のそばで何人かが踊っているのを見た時だ。なぜだろう。きっと、その人たちが自由に選んで踊っている日だったからかもしれない。でも、午後を部屋で寝転んで過ごすのもよかっただろうな、とも思う。</p>
<p>夕食後、面白い映画の解説動画を見た。主人公はある自己啓発セミナーに参加し、変わってみるよう促される。口癖の「ノー」を「イエス」にするのだ。その後、彼の生活は本当に変わり、少しずついい方向へ進んでいくように見える。こういう物語をどう受け止めればいいのか、うまく言えない。でも私は結構好きだ。『恋はデジャ・ブ』もそうだし、別の世界では仕事の道を選ばず、愛する人と一緒に暮らしていたと知る男の、あの映画も。</p>
<p>こういうことを信じていいのか、私にはわからない。私は結果で物事を見すぎるのかもしれない。生活が変われば自分も変われる、という期待にすがっているだけではないかと怖くなる。もし何も変わらなかったら？　以前SNSに載せた太宰治の別の言葉を思い出す。激しい喜びがなければ、悲しみも襲ってこない（中国語訳から訳したもの）。ショーペンハウアーの考えにも通じる。そういえば、この映画の解説を見て、ギリシャが悲劇から喜劇へ向かったことについてのニーチェの分析も思い出した。</p>
<p>最後に『奇蹟の輝き』も見た。美しい場面が一つあって、意味深い映画だった。私も死が終わりではないと信じている。この世にいるあいだにそれを理解し、忘れずにいることが、今生の私の課題の一つなのかもしれない。</p>
<p>ついでに言えば、最後の考えは昨日眠る前に浮かんだものだ。できるだけ結論を出すか、せめて言葉を具体的にして、自分が望む方向へ近づきたい。自分を暗示にかけたり、嘘をついたりするためではない。曖昧な思いをそのまま放っておくことで、逃げたり、何かを逃したり、自分の選択がわからなくなったりしたくないのだ。粒子を観測するようなものだと思う。見なければ無限の可能性がある。でも私たちには、無限のために有限が必要だ。だから私はそれを定め、見つめたい。自分の望む場所へ、愛へ、円満へ向けて。</p>
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      <title>私はよく、言葉にできないものを忘れてしまう</title>
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      <pubDate>Fri, 11 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[大切なのは、どうやって保ち、どうやって覚えておくかだ。雨の続く日に明るさを思い出し、長い夜に夜明けを忘れずにいるには、どうすればいいのだろう。 けれど、その問い自体があることを含んでいる。今は耐えなけ]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>大切なのは、どうやって保ち、どうやって覚えておくかだ。雨の続く日に明るさを思い出し、長い夜に夜明けを忘れずにいるには、どうすればいいのだろう。</p>
<p>けれど、その問い自体があることを含んでいる。今は耐えなければならない、今という時間は自分のものではない、ここは人間の世界で、その先に天国がある、ということだ。だから、雨には雨の日があり、長い夜も愛おしく見える。二つを比べるのは、どちらが優れているかを決めるためではない。どちらかを好むなら、もう一方をどうやって抱きしめればいいのだろう。</p>
<p>私は本当に好みを持っているのだろうか。ない。曇りでも晴れでも、今日でも明日でも、毎日は同じ。部屋の中でも外でも、ここでもあそこでも、どこも同じ。だから退屈する。本当に違いがないように思えるから。違いが生まれるとしたら、それは私が選ぶからであり、私の外にあるものが働きかけ、私が反応するからだ。</p>
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      <title>九月十日に欠けた一片</title>
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      <pubDate>Thu, 10 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[その欠けたところを埋めておきたい。毎日、何かしらの跡を残そう、と以前の私は自分に言った。抜けた日があれば、後から書き足せばいい。いつか気が変わったら、やめればいい。ただ、すでに書いたものは、誤字を直す]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>その欠けたところを埋めておきたい。毎日、何かしらの跡を残そう、と以前の私は自分に言った。抜けた日があれば、後から書き足せばいい。いつか気が変わったら、やめればいい。ただ、すでに書いたものは、誤字を直す場合を除いて書き換えないつもりだ。今日は九月十三日。</p>
<p>数日前、主人公が自分の気持ちを表すために太宰治の言葉をよく引用する作品を見た。中学生の頃、『人間失格』があまりに流行っていたので、私も一冊買ったことがある。その中の一節をSNSに載せたのを覚えている。「たった一日の違いで、私は別人のようになってしまう」（中国語訳から訳したもの）。</p>
<p>人との付き合いについての私の状態を、よく言い表している。誰かと話したくなる時がある。短いメッセージでも、手紙でもいい。でも翌日、あるいはしばらくすると、数日間、もしかしたら永遠に姿を消したくなる。ただ力がない。うんざりしているわけでもない。ただ力がなくて、そうしたくない。気分が本当によくないからかもしれないし、ほかに理由があるのかもしれない。だから親しい関係は、あまり多くないほうがいい。相手を困らせるし、突然姿を消すことを私自身も好まないから。</p>
<p>私の言う「永遠」とはいったい何だろう。「ずっと一緒にいたい」と言う時、相手は頭の中にいる理想のもう一人の自分なのだろうか。生活は、両極端に見える場所のあいだをぐるぐる回っている。同時に存在できる矛盾がたくさんある。それぞれに理由があるからだ。誰かが去ることを穏やかに受け入れられるなら、私自身が去ることも穏やかに受け入れられるのだろうか。それは自分の「力への意志」を行使することなのか、それとも自己中心的なだけなのか。でも、穏やかでいるのはやはり難しい。何もかも、きれいには割り切れない。</p>
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      <title>言いかけてやめ、「涼しい、いい秋だ」とだけ言う</title>
      <link>https://kept.place/ja/writing/2026-09-09-mtu8uqp9/</link>
      <guid isPermaLink="true">https://kept.place/ja/writing/2026-09-09-mtu8uqp9/</guid>
      <pubDate>Wed, 09 Sep 2026 03:00:00 GMT</pubDate>
      <description><![CDATA[9月8日、23時58分。 またウェブサイトをいじった。作っている間は少しいらいらした。ここ数日、ずっと気分があまりよくなかったからかもしれない。 まあ、今は寛容になった。いや、寛容というのも違う。私を]]></description>
      <content:encoded><![CDATA[<p>9月8日、23時58分。</p>
<p>またウェブサイトをいじった。作っている間は少しいらいらした。ここ数日、ずっと気分があまりよくなかったからかもしれない。</p>
<p>まあ、今は寛容になった。いや、寛容というのも違う。私を傷つける人がいるわけでも、私を不満にさせることがあるわけでもないから。私は生活の円満さを見ている。すべては動き続けていて、私はその動きを見に来たのだ。</p>
<p>私はまだ、心を置ける場所を探している。自分は肉体ではなく、特定の誰かでもないと気づいたからだ。肉体に魂が宿るように、私の魂を宿してくれる物が必要なのだ。</p>
<p>これは偉大な瞬間だと思う。生活の真実に触れる機会があるから。そして、この感覚は特別なものだからこそ、私はまた忘れることもできる。だから今、この偉大な状態の中で、自分の生活を選べるのだ。</p>
<p>今は9月9日の夜11時。今夜の風は少し涼しくなった。この記録の真ん中は今日書き、前と後ろは昨日書いた。どちらも残しておきたい。きっとうまく溶け合うだろう。</p>
<p>誰かがこう言うのを聞いた。どこかへ行きたいのなら、そこへ行く方法は一つしかない。今はそこにいないことだ、と。少し回りくどい。でも生活には、「そこにいる」と「そこにいない」、そしてその間にある私たちの曖昧な意識がある。自分はそこにいないと思うから、探し続ける。そこにいたいと願う。でも、いつか辿り着きたいと願う時点で、今はそこにいないと認めている。私たちが生きているのは今なのだとしたら、その願いは永遠に届かない。</p>
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