九月十日に欠けた一片
その欠けたところを埋めておきたい。毎日、何かしらの跡を残そう、と以前の私は自分に言った。抜けた日があれば、後から書き足せばいい。いつか気が変わったら、やめればいい。ただ、すでに書いたものは、誤字を直す場合を除いて書き換えないつもりだ。今日は九月十三日。
数日前、主人公が自分の気持ちを表すために太宰治の言葉をよく引用する作品を見た。中学生の頃、『人間失格』があまりに流行っていたので、私も一冊買ったことがある。その中の一節をSNSに載せたのを覚えている。「たった一日の違いで、私は別人のようになってしまう」(中国語訳から訳したもの)。
人との付き合いについての私の状態を、よく言い表している。誰かと話したくなる時がある。短いメッセージでも、手紙でもいい。でも翌日、あるいはしばらくすると、数日間、もしかしたら永遠に姿を消したくなる。ただ力がない。うんざりしているわけでもない。ただ力がなくて、そうしたくない。気分が本当によくないからかもしれないし、ほかに理由があるのかもしれない。だから親しい関係は、あまり多くないほうがいい。相手を困らせるし、突然姿を消すことを私自身も好まないから。
私の言う「永遠」とはいったい何だろう。「ずっと一緒にいたい」と言う時、相手は頭の中にいる理想のもう一人の自分なのだろうか。生活は、両極端に見える場所のあいだをぐるぐる回っている。同時に存在できる矛盾がたくさんある。それぞれに理由があるからだ。誰かが去ることを穏やかに受け入れられるなら、私自身が去ることも穏やかに受け入れられるのだろうか。それは自分の「力への意志」を行使することなのか、それとも自己中心的なだけなのか。でも、穏やかでいるのはやはり難しい。何もかも、きれいには割り切れない。